新海誠と超平和バスターズ(長井龍雪・岡田麿里・田中将賀)

 

もともと新海誠とらドラ(2008)あの花(2011)が好きで、自分もあんなんやりてえ…とキャラデザの田中将賀さん引き抜いてクロスロード(2014)君の名は(2016)に繋がるという。そしたら「あの花の田中将賀」が「新海誠作品のキャラデザの田中将賀」になるという。やっぱ新海NTRすきだね。

 

 

 

 

 

 

でも君の名は(2016)やってる時は田中将賀さんはここさけ(2015)の作業等が重なり本編はやってないし、天気の子(2019)でも空青(2019)の作業で不参加だし、世間的には田中将賀NTRしても心と体は長井龍雪岡田麿里のものという新海誠はやっぱり悲恋の似合う男

 

君の名はやるまで興収1億くらいのインディーズ感ある監督だった新海誠があの花(映画版は興収10億)見てなにくそ~と田中将賀NTRして君の名はで興収250億くらいになるのダークヒーローとかラスボス感あってすき。

 

 

 

今かつてのライバルだった長井岡田田中トリオがぜんぜん自分に歯がたたないのを見て「俺は…強くなりすぎてしまった…」みたいセリフを吐きながら悲哀にくれてそうなダークヒーローラスボス新海誠

空の青さを知る人よ、感想

空の青さを知る人よ、観てきた。普段こういう映画とかアニメとか漫画とかで滅多に泣かない人間なのだが、普通に泣いてしまった。ちょっと自分の今の人生と重なる部分が多くて感情移入しまくりで。夢の道半ばで挫折しかかってるアラサーと地元に残ってささやかな幸せを享受しているアラサーがね……。

 

空の青さを知る人よ、人によって刺さる部分が違いそうで、色んなテーマが詰め込まれてて。もちろん夢を追った経験のある人には全方位で刺さり、地元を離れ都会に出た人にはアラサー慎之介が刺さり、地元に残って家族を選んだ人には姉あかねが刺さり、過去への罪悪感に苛まれる人は妹あおいが刺さり。

 

『まだ俺は夢の途中だ』みたいなアラサー慎之介のセリフとか『今度はツナマヨも作ろうかな』という姉あかねのセリフとか、こうベタだけど「年食っても夢を諦めるな」とか、挫折してるように見えて実はそこそこ幸せなんじゃね?みたいな「空の青さを知る」テーマだったりも素直にスッと受け取れたなと。

 

井の中の蛙」なのは都会に出て夢を追うアラサー慎之介も、地元に残って家族を守る姉あかねも、高校生の妹あおいも“しんの”もそうで、そういう現状を受け入れて前に進むことで「空の青さを知る人」になるという、あ〜岡田麿里の言葉遊びにやられちまったなと。

 

岡田麿里的にも地元の秩父を舞台にしたあの花ここさけ空青の3部作の中で空青は集大成的な作品だったというか、ずっと地元で家に引きこもっていた学生時代、高校卒業後に地元を出て夢を追う選択をしたこと、キャリアを積んで地元を舞台にした作品をやることなど、全岡田麿里を肯定した作品なのかなと。

 

妹あおいの友人の男日照りJKと、アラサー友人の小学生息子がいい味出してて、メインの人物が割と思考が堂々巡りして重苦しい雰囲気になりそうな所をクールなツッコミ視点で見てるというか、コメディリリーフ的な部分でうまいなと思った。頭硬いアホの子あおい×頭柔らかいツッコミ2人でいいコンビ。

 

けっきょく「夢を追う/叶える」とか「挫折する」とか「都会に出る」とか「田舎に残る」とかそういう状況が“井の中の蛙”や“空の青さを知る”というわけではなくて、状況関係なくいま自分のいる場所から空を見上げて空の青さを知る人になれるかどうかが重要、という話だったのかなと。

 

そういう意味で、姉あかねにとっての“”青い空”というのはずっと妹あおいのことで、妹の幸せが自分の幸せで、姉あかねは最初から最後まで“空の青さを知る人”だったということで、この「空の青さを知る人よ」というタイトルは妹あおいや慎之介から見た姉あかねである、とも言えるかもしれない。

 

“空の青さを知る人よ”って「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」から来たタイトルだけど、この作品の場合「大海」ってなんだと思うけど、たぶん井と大海を区別していなくて、個人の見識の広さで井にも大海にもなるというか、現状を肯定して前に進む=空の青さを知ることでそれに伴って井が大海に、みたいな。

 

 

あの花ここさけ空青は脚本のマリーこと岡田麿里氏のパーソナリティがダイレクトに反映されてる作品で、マリーの自伝を読むとそれがより理解できるのだが、それによるとマリーって一人っ子なんだよね。それでこれまでの作品も主人公がずっと一人っ子だったけど空青は姉が出てくるのがこれまでになくて。

 

マリーは物心ついた頃から母親とずっと二人暮らしで中高と引きこもっていた時期なんかはずっと母親といて。空青の姉あかねはこのマリー母が反映されてるのかなとか。ずっと自分を育てるために秩父で十数年一緒に暮らしてきた家族で、妹あおいの罪悪感もマリーの原体験なのかなとか。

 

 

あの花ここさけ空青の秩父三部作はやはり岡田麿里のこれまでの人生の根本的な部分が反映されてて真に迫っているというか、他人事じゃなくて人生をかけて経験して思い感じてきたことがそのままテーマになってて、そういう部分が同じ思いを抱えた人たちに刺さってくるのかなと。

 

あの花ここさけもこれまでの岡田麿里の人生が反映されてきた作品だけど、今回の空青は母親との関係にフィーチャーしたというか、秩父で共に十数年暮らした母への思いとか、秩父に母を残し上京して夢を追うこととか、秩父に帰ってきて作品の題材にすることとか、そういうのが詰まってるのかなと。

 

 

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岡田麿里「大人になった女の子を書いてみたい」 で、見事にそれがオタクたちに刺さっているのだがSHIROBAKOとかNEW GAMEとかもそうだが、もう20代女子くらいならオタクは普通に受け入れられるようになって、オタクの高齢化で30代もいけるようになって、オタク界隈のヒロイン高齢化の流れが進む流れが。

cho-animedia.jp

 

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 アニメ監督って結局は演出家なので、演出のことを語りがちな気がして、広角レンズ望遠レンズの好みの話とか、京アニの人(山田尚子?)の望遠レンズの再現の難しさとか面白い。そもそも絵コンテの絵で自分が広角を描けないと、描けない~とか確かにそうだなとか。

 

 アラサーメガネお姉ちゃんとかいう“次”オタクたちに来るかもしれないキャラクターを今現在でバンと出してくる売れっ子脚本家岡田麿里の嗅覚はさすが